高取英先生へ
本当ですか。
本当にもう会えないのですか。
「悪ものは長生きするんだ、いい人ほど早死にする。だから私は長生きするね」と笑っていたのに、
66歳もの若さでこの世を去るなんて、
あなたは自分の人生にまで、最期にどんでん返しを仕掛けるんですね。
もう高取さんには届かない言葉ですが、気持ちの整理をさせるためにも、想い出を綴らせていただきます。
2014年の冬のザムザ阿佐ヶ谷で頭脳警察のPANTAさんに連れられて初めて月蝕歌劇団を観劇し、
その日の中打ち上げでお逢いしたのが高取さんとの出逢いです。
そのPANTAさんからまさか、高取さんの訃報まで聞く日が来るなんて人生の奇妙な螺旋を感じずにはいられません。
高取さんと初めてお話した際、冗談混じりにPANTAさんが
「ナミも月蝕に出してもらいなよ」と言い、
役者としての舞台経験などなく躊躇う私を
高取さんは半ば強引に次に決まっていた五月公演にキャスティングしてくださりました。
なかなか馴染めない稽古場で不安の塊だった私に、
「問題ないですよ」と励ますわけでもなくごく自然におっしゃってくださった言葉に救われ、
あれよあれよという間にゲスト出演扱いからいつの間にか固定メンバーとして三年間出演させ続けさせていただきました。
もちろん、小道具から物販まですべて自分たちで用意し、稽古中に増えてゆく台本や時には役者の仲違いなど、
すべて納得のいく状況だったわけではなく、時には不満や不信もなかったとは言えません。
それでも私は、月蝕歌劇団の、高取さんの魅力にいつの間にやら取り憑かれてしまい
現在の海外生活を決める直前まで月蝕の舞台に立ち続けました。
今年も一度、再び月蝕の舞台に立たせていただきました。
寺山修司さん作、高取さん演出の二度目の【阿呆船】です。
たった1日の舞台出演と、合間に二人で近くの喫茶店へ行ったこと、
その時に喫茶店で流れていたサーカスのような壮大な映像に二人で釘付けになったこと、
高取さんがくゆらす煙草の煙を見つめながら話した他愛もない話、
それらがすべて、もう二度とかえらない日々になるとは思いもしませんでした。
出逢ってたったの4年半ですが、与えてくださったものが大きすぎてまだ何も返せていません。
今の【三上ナミ】は、間違いなく月蝕歌劇団が高取英があってこその姿です。
私だけでなく本当に多くの人々に影響を与えてくださった高取英先生、
死後の世界なんてものが本当にあるのか私にはわかりませんが、
もし死後の世界があり、または生まれ変わることがあるのなら、
またあなたの舞台で演じ、歌わせてください。
メンソレータムの少女も、イかれたオペラ歌手も、大食いの娼婦も、蝋人形も、
せむし女も、マリーアントワネットも、従軍看護婦も、少年も、猫娘も、
あなたの魔術で私は何にでもなれました。
30年以上の月蝕歌劇団の歴史の中でたった3年ほどしか参加していない私に
【初代歌姫】の称号を与えてくださったことを生涯誇りに思います。
どうか、そちらに逝っても安らかになんて眠らないで、目が離せないような劇を書き続けてください。
現世ではお世話になりました。
本当にありがとうございます。
そして最後になりましたが、月蝕歌劇団を通して出逢ったすべての皆さまにも感謝しております。
月蝕歌劇団、初代歌姫 三上ナミ